コンテンツへスキップ

MBTIで括られて話されるのがしんどいので、自分の立場を書いておきます

MBTIで括られて話されるのがしんどいので、自分の立場を書いておきます のアイキャッチ
Contents

    MBTIに興味はありません。ただ、MBTIで括られたり、それを前提に話をされることがあるので、自分の立場を一度整理して公開しておきます。これは誰かを説得するための記事ではなく、立場表明です。同じ説明を毎回するのも面倒なので、ここに自分の考えを置いておきます。

    先に結論だけ書きます。

    • ラベリング自体を否定するつもりはありません。文脈次第で有用な場面もあります
    • 問題にしているのは、雑なラベリングが日常会話の他者評価に使われて、それが許容されている状況です
    • MBTIはその典型です。科学的にも十分に怪しいのですが、仮に科学的に妥当だったとしても私は乗りません

    この記事で書くのは、「なぜ乗らないか」の理由です。

    個人的な原体験として

    先に書いておきます。私はB型で、B型が仮想敵として使われる場面に居心地の悪さを感じながら育ってきました。「B型だから自己中」「B型だからマイペースで困る」。良いように扱われることは、あまりありませんでした。

    これは被害者としての告発ではありません。血液型性格判断はすでに社会的には下火で、わざわざ叩くほどのものでもありません。ただ、「生得的な属性で括られて、勝手に性格を決めつけられ、それが日常会話で許容される」構造がどういうものかを、私は他人事としてではなく知っています。

    その経験があるので、MBTIで同じ構造が別のレイヤーで繰り返されているのを見ると、違和感が先に来ます。理屈で反対しているのではなく、理屈で反対の根拠を整理できる程度には、この件に関して当事者の感覚がある、ということです。

    この前提を置いた上で、以下は原理の話をします。

    「君ってENFPっぽいよね」は許されて、性的指向で同じことを言うのは許されない

    この非対称性から始めます。

    他人の性的指向を勝手に決めつけて「君って〇〇っぽいよね」と日常会話で言ったら、大抵の場では問題になります。人種や出身地、血液型も似たような扱いに近づきつつあります。「B型っぽい」と言って人を扱うのは、少なくとも以前ほどは許容されなくなりました。

    ところが「君ってENFPっぽいよね」は、今でも普通に許されてしまいます。飲み会でも、職場でも、Twitterでも。同じ「先天的・固定的とされる属性でラベリングして他者評価する」という行為なのに、MBTIだけなぜか社会的バリアが機能していません。

    日常会話でのラベリング許容度の比較性的指向、人種・出身地、血液型によるラベリングは社会的に許容されにくいが、MBTIによるラベリングは高く許容されている、という非対称性を示す横棒グラフ。日常会話での他者ラベリング許容度「◯◯っぽいよね」と他人に言ったときの社会的許容度許容されにくい許容されやすい性的指向差別として明確に扱われる人種・出身地差別として扱われる血液型以前より許容されなくなったMBTIほぼ何でも許容される同じ「先天的・固定的とされる属性で他者を括る」構造なのに、MBTIだけ社会的バリアが機能していない。※ 実測ではなく、社会通念の印象を模式化したもの

    この非対称性の説明として、考えられるのは以下のような論法です。

    • MBTIは「本人が自分で診断を受けた結果」だから失礼ではない、という説
    • MBTIは科学的根拠がある(とされている)から正当である、という説

    いずれの論法も、私には弱いと思えます。順に見ていきます。

    「本人が診断を受けたから失礼ではない」は成立しない

    「ENFPって自分で言っている人に『ENFPっぽいね』と言うのは失礼ではない」という論法があります。

    これは部分的には正しいです。自分で名乗っているアイデンティティに対して、それを受け止める発言は問題になりません。性的指向について自分でカミングアウトしている相手に、その文脈で話を合わせることに問題はありません。

    ただ、MBTIで実際に起きているのはそれではありません。本人が名乗っていない相手にも「君はENFPっぽい」「あの人はINTJだから」とラベルを貼って扱いを決める行為が、日常的に行われています。これは血液型占いで「B型っぽいよね」と言うのと構造的に同じです。

    自称と他称の区別がついていない、というのが一点目の問題です。

    「科学的根拠がある」も成立しない

    ここから定量の話をします。「でもMBTIは科学的に当たっているから血液型とは違う」という反論に対して、査読論文ベースで応えます。

    再検査信頼性が低い

    Pittenger (2005) は、MBTIの再検査信頼性について次のように報告しています1

    McCarley and Carskadon (1983) replicated these findings and demonstrated that across a 5-week test-retest interval, 50% of the participants received a different classification on one or more of the scales. Indeed, Myers et al. (1998) reported that 35% of individuals had a different four-letter type score after a 4-week interval.

    (McCarley and Carskadon (1983) はこの知見を追試し、5週間の再検査間隔で、50%の被験者が1つ以上の尺度で別のタイプに分類されることを示した。実際、Myers et al. (1998) は4週間の間隔で35%の個人が異なる4文字タイプを受け取ったと報告している。)

    性格タイプは、MBTI理論上は生得的で安定したものであるはずです。それが1ヶ月程度で半分の人のタイプが変わるというのは、分類器として成立していないことを意味します。推論のたびに50%で出力が変わる分類器が、実用に耐えないのは明らかです。

    尺度レベルの信頼性も高くはありません。Pittengerが引用する Stricker & Ross (1962) の14ヶ月追跡では、再検査信頼性が最も低い T-F 尺度で r = .48、最も高い E-I 尺度でも r = .73 という報告があります。心理測定ツールに求められる水準には届きません。

    擁護側の反論を先に挙げておきます。MBTI擁護側は「それは中間得点帯に限った話で、強い得点の人はもっと安定する」と主張します。確かに、得点が極端に離れている人の分類は比較的安定します。ただ、分類器としての品質は、得点が中間帯にある多数の人に対してどれだけ一貫した分類を返せるかで決まります。擁護側の土俵に立っても、中間帯での高エラー率は残ります。

    タイプが存在するという証拠がない

    MBTIの大前提は「人は16タイプに質的に分かれる」という主張です。これを検証するには、得点分布が二峰性(bimodal)になっている必要があります。内向型と外向型が本当に別のタイプであれば、中間にへこみができて山が2つできるはずです。

    実際のデータはどうでしょうか。Pittenger (2005) の報告を引用します2

    Although bimodality appears to be an essential characteristic of the distributions of scores, it is conspicuously absent. Evidence from several sources (Harvey & Murry, 1994; Hicks, 1984; McCrae & Costa, 1989; Stricker & Ross, 1962) indicates a continuous distribution of scores across each dimension.

    (双峰性は得点分布の本質的な特徴であるはずだが、それは顕著に欠如している。複数の研究 (Harvey & Murry, 1994; Hicks, 1984; McCrae & Costa, 1989; Stricker & Ross, 1962) が、各次元にわたって得点が連続的に分布していることを示している。)

    IQのように連続的な分布を、中央で無理やり二分しているだけで、タイプが実在する証拠はありません。

    MBTI理論の前提分布と実データ分布の比較MBTI理論はタイプが実在する=二峰性分布を前提とするが、実データの得点分布は単峰性(正規分布に近い)であることを示す2枚並びのチャート。Pittenger 2005。得点分布:理論上の前提 vs 実データタイプが実在するなら双峰分布になるはず。実際は単峰分布に近い(Pittenger, 2005)。理論(MBTIの前提)タイプが質的に分かれる = 双峰分布内向型外向型得点(低 ← → 高)実データ単峰分布(正規分布に近い)ここで2タイプに分断49pct51pct内向型と分類外向型と分類得点(低 ← → 高)出典: Pittenger, D. J. (2005). Cautionary Comments Regarding the Myers-Briggs Type Indicator.

    49パーセンタイルの人と51パーセンタイルの人が、MBTIでは別人格扱いされます。これは分類の基本が壊れています。

    Big Fiveの劣化版である

    ここで補足として、Big Five(五因子モデル)について簡単に説明しておきます。

    Big Fiveは、性格心理学の分野で現在最も学術的支持を得ているパーソナリティ理論です。人の性格を以下の5つの次元で捉えます。

    • 開放性(Openness): 新しい経験や知的刺激への興味
    • 誠実性(Conscientiousness): 計画性、自己規律、責任感
    • 外向性(Extraversion): 社交性、活動性
    • 協調性(Agreeableness): 他者への思いやり、協力性
    • 神経症傾向(Neuroticism): 不安の感じやすさ、情緒の安定性

    MBTIとの決定的な違いが2点あります。第一に、Big Fiveは連続尺度です。各次元について得点を出すだけで、「開放性タイプ」「誠実性タイプ」のようにタイプに分類しません。第二に、Big Fiveは実証研究から抽出されたモデルです。日常言語の中の性格を表す語を大量に集めて因子分析した結果、この5次元が繰り返し見出されたという経緯で組み立てられています。理論が先にあって項目を作ったMBTIとは成り立ちが逆です。

    さらに、Big Fiveは職務成績や人生満足度との相関が繰り返し検証されています。特に誠実性は職務パフォーマンスを一貫して予測することが知られています。MBTIにはこの種の予測力がありません。

    ここで McCrae & Costa (1989) に戻ります3。この2人はBig Fiveの代表的な測定器であるNEO-PIの開発者本人です。彼らが自ら、MBTIを468名(19〜93歳)のサンプルで分析し、Big Fiveと比較しました。論文のアブストラクトで、彼らは次のように結論づけています。

    Consistent with earlier research and evaluations, there was no support for the view that the MBTI measures truly dichotomous preferences or qualitatively distinct types; instead, the instrument measures four relatively independent dimensions. (...) The data suggest that Jung's theory is either incorrect or inadequately operationalized by the MBTI and cannot provide a sound basis for interpreting it.

    (これまでの研究や評価と整合的に、MBTIが真に二分された選好、あるいは質的に異なるタイプを測定しているという見方を支持する根拠は得られなかった。むしろMBTIは、比較的独立した4つの次元を測定している。(...) データは、Jungの理論が誤っているか、MBTIによってその理論が不十分にしか操作化されていないかのいずれかであることを示唆する。MBTIは理論の解釈の堅実な基盤を提供しない。)

    次元の対応関係は、本文中でより明確に述べられています。MBTIの4指標は、Big Fiveの5次元のうち4つに対応します(S-N → 開放性、E-I → 外向性、T-F → 協調性、J-P → 誠実性)。論文 p.36 は次のように指摘します。

    Most conspicuous is the lack of a Neuroticism factor in the MBTI.

    (最も顕著なのは、MBTIにおける神経症傾向因子の欠如である。)

    余談ですが、16Personalitiesが本家MBTIの16タイプに独自の「-A / -T」サフィックスを足しているのは、まさにこの神経症傾向を補うためです。本家MBTIの設計には情緒の安定性という主要な性格次元が含まれていない、ということを示しています。

    整理すると、性格心理学のメインストリーム側から、MBTIはBig Fiveから1次元削って各次元を強制的に二値化した下位互換だと評価された、ということになります。自己理解に興味があるのであれば、無料で受けられるIPIP-NEO(Big Five系の代表的なオンラインテスト)の方が、科学的には筋の良い選択肢です。

    仮に科学的に妥当でも乗らない、という立場

    ここがこの記事の核心です。

    ここまでMBTIの科学的問題を書いてきましたが、実はこれは補強材料に過ぎません。仮にMBTIが明日の朝、査読論文で全面的に妥当性を証明されたとしても、私は「君ってENFPっぽいよね」を受け入れる気はありません。

    なぜか。ラベリングの運用の問題は、ラベリング元の精度とは独立だからです。

    血液型が仮に性格と99%相関するとしても、「B型だからだらしない」と言って人を扱うのは差別になります。人種が仮に何らかの傾向と相関するとしても、個人をその相関で扱うのは差別になります。統計的事実があっても、個人への適用は別の倫理判断です。

    MBTIも同じです。精度の問題ではなく、生得的・固定的とされる属性で個人を括って扱いを決める行為そのものが問題であって、その精度が上がっても正当化されません。

    「でもMBTIは楽しいじゃないですか」「自己理解に役立つじゃないですか」という反論が来ます。これには同意します。自分の中で使う分には否定しません。自己理解のきっかけ、飲み会の話題、性格テストとしての娯楽、いずれも否定しません。

    私が乗らないのは、他者評価の道具として日常会話で使われる局面です。「あの人はINTJだから」で人事配置を決めたり、「ENFPだから合わない」で人間関係を判断したりする、その運用です。

    原理の順序について

    補足しておきます。私は「性的指向による差別は悪→MBTIも似ているから悪」と考えているわけではありません。特定のマイノリティの権利運動に特別な肩入れもしていません。

    順序は逆です。「雑なラベリングによる他者評価は悪→その原理を適用すると、性的指向による差別もB型差別もMBTIも同じ構造で悪」と考えています。出発点は原理側にあります。ですから特定のイデオロギーに属しているわけではありません。どの属性であっても、雑なラベリングで他者を扱うのであれば同じ基準で拒否します。

    この順序を明示しておくのは、「人権派ぶってMBTIを叩いている」と読まれたくないからです。私がやっているのは原理の一貫適用であって、陣営的な立場表明ではありません。

    結論としての自分のスタンス

    • MBTIを自分の中で使って自己理解に役立てている人を否定しません
    • MBTIを使った占いやコンテンツを楽しんでいる人も否定しません
    • ただし、私を勝手にタイプで括って話を進める相手とは距離を置きます
    • 「あの人は何タイプっぽい」で他人を評価する会話には乗りません
    • 採用・配置・人間関係の判断にMBTIを使う運用には、明確に反対します

    ちなみに私はESTPでした。記事冒頭に書いた通り、自分の中で使う分には否定していません。この記事は「MBTIを受けたことがないアンチ」が書いたものではなく、受けた上で「他者評価の道具として使われる局面には乗らない」と判断した人間の記事です。

    繰り返しますが、これは説得のための記事ではなく、自分の立場を書き留めたものです。この件について改めて何か言われたときに、「考えは整理してここに書いてある」と言えるようにするためのものです。

    footnote

    1. Pittenger, D. J. (2005). Cautionary Comments Regarding the Myers-Briggs Type Indicator. Consulting Psychology Journal: Practice and Research, 57(3), 210-221, p. 214. DOI: 10.1037/1065-9293.57.3.210

    2. Pittenger (2005), p. 213.

    3. McCrae, R. R., & Costa, P. T. (1989). Reinterpreting the Myers-Briggs Type Indicator from the Perspective of the Five-Factor Model of Personality. Journal of Personality, 57(1), 17-40 (p. 17, 36). DOI: 10.1111/j.1467-6494.1989.tb00759.x

    X Facebook B! Hatena